2025年10月11日
高輪区民ホールでの講演後に、講演に来てくださった皆様で、
先月行われたJALのソムリエクラブ「ルシエール」同窓会の幹事メンバーで
同窓会のお疲れ様会を新宿の老舗居酒屋「樽一本店」で行いました。
いつもはワイン

の皆様ですが、この日は、私の講演「SAKEから観光立国」に合わせて
日本酒

で乾杯いただき、樽一店主の慎ちゃんお薦めのお酒とお料理を堪能させていただきました

有難うございました

2025年10月11日
港区の高輪区民ホールで、公益財団法人 味の素食の文化センター・高輪図書館 共催の教養講座で、
講演の機会をいただきました。参加無料で中学生以上が対象という講座です。
今まで、私の活動をお話しする講演会では、主催は、業界関係、若しくは自治体や政府関係など、
参加者は業務の一環で聞いてくださる方々ばかりでした。
ところが今回は、どんな方々が来てくださるのかは全くわからず、
そもそも一般的には無名の私の話を聞きに、人が集まるのだろうか?と大きな不安と、
また、それと同じくらい、これは、今まで日本酒に特に関心を持っていなかった方に、
日本酒の価値と大きな可能性を感じていただけるきっかけになるかもしれない。
という新たな方々との出会いでもあるという、素晴らしい機会ではという心境での講座でした。
そもそも、この講座のお話しは、JALのCAのOGの方が港区図書館にお勤めで、
そのCA同期の方がJALのソムリエクラブで私と一緒の方でというご縁でした。
講演には100名以上の方がいらしてくださり、多くのJALOGの方も集まってくださって、
中には、2010年の希望退職後に初めてお会いした方もいらして、本当に不安いっぱいでしたが、
講演後に皆さんにお会いした際には、大きな大きなギフト

をいただいた心地でした。
本当に有り難うございました

2025年10月10日
酒サムライ叙任式とサミットの翌日に、今回の叙任者と国内外から集まってくださった酒サムライの皆様対象に
特別エクスカーションとして、京都伏見の月桂冠さんの蔵訪問を致しました。
酒サムライコーディネーターの私も同行させていただき、
15代目当主予定の月桂冠の大倉泰治副社長がご案内くださいました。
大倉記念館から、
旧大倉家の広間、
そして工場にもご案内いただきました。
有難うございました

2025年10月9日
酒サムライ叙任式が行われました。
私は平成18年(2006年)の第1回から、酒サムライコーディネーターとしてこの会のお手伝いをしています。
今年の叙任者は、黒川豪人氏、遠藤烈士氏、管怡宣 氏の3名です。
とても気持ちの良いお天気に恵まれて、正式参拝、そして叙任式が行われました。
その後に、第二回目となる酒サムライサミットが、京懐石 美濃吉本店 竹茂楼で行われました。
世界各国から今まで叙任された酒サムライが集まって、4名の酒サムライ、
からのプレゼンテーションと現地で造られたSAKEの試飲をしました。
そしてその後は、竹茂楼の同じ会場で、「日本文化とともに日本酒を楽しむ会」 芸子さんの踊りを楽しみながら、
麻生益寛副会長の進行で楽しく美味しく各国からの酒サムライと蔵元さん方と交流を楽しみました。
2025年10月7日
朝早く佐賀を出発

して、故山下徳夫先生がつくられた30年の歴史のある官民の交流会、
東京PN会の皆様と酒蔵訪問で、神奈川県海老名市の泉橋酒造さんを訪問しました。
泉橋酒造さんは、全国でも珍しい米

作りからの酒造りに取り組んでいる蔵元さんです。
橋場友一社長とは、もう20年以上のお付き合いになりました。
橋場社長に、米の実る田圃を案内いただき、米作りの歴史や様々な取り組みのお話しを伺い、
蔵人さんに蔵を案内していただきました。
その後、海老名駅近くで、泉橋酒造さんが運営する飲食店「サケとアテ」で
泉橋酒造の自慢のお酒とのペアリングメニューを堪能させていただきました。
参加された皆様は、とても喜ばれて、楽しく美味しい時間となりました。
有難うございました

2025年10月6日
令和7年(2025年)10月6日、佐賀県小城市の天山酒造さんの創業150周年記念祝賀会が、
佐賀市のホテルニューオータニ佐賀で開催されました。
6代目の現社長の七田謙介社長とは、
私が2006年から務める役員就任時45歳未満の若手の蔵元の全国組織「日本酒造青年協議会」の
副会長を七田さんがされていた10年以上前からのお付き合いです。
現在、酒造組合中央会の需要開発委員長もされていて、業界全体に貢献されています。
国内外から350名もの方々がお集まりで、七田さんらしい暖かく優しく活気のある会でした。
2025年10月1日
10月1日の日本酒

の日に、日本外国特派員協会で、
IWC2025 チャンピオンサケ「七賢 純米大吟醸 心白」受賞記念試飲会が行われました。
北原対馬さん、
会場では、日本酒の業界でご活躍の多く皆様にお会い出来ました。
今日のニュースでも、あらためて報道が

2025年9月30日
令和7年(2025年)9月30日は、一般社団法人 食文化ルネサンス(茂木 友三郎理事長)の総会と懇親会でした。
会場は、理事である間光男(はざまみつお)シェフのレストラン、SUD Restaurant TERAKOYA竹芝の、
会全体の進行は、二之湯武史専務理事がされて、冒頭に昨年の総会直後に逝去された服部幸應先生に黙祷いたしました。
通常総会の議長は、鎧塚俊彦理事が務められ、盛会裡に終了いたしました。
総会後には、理事のミシュラン三ツ星HAJIMEレストランのオーナーシェフの米田肇氏と、
ONODERA GROUP のエグゼクティブシェフの杉浦仁志氏による対談。
食の世界のリーダーのお2人の対談は、とても刺激的でした。
その次は、昨年からの新理事に就任された
HOTEL THE MITSUI KYOTO 副総料理長 兼「都季」料理長の浅野哲也氏と、私がそれぞれプレゼンをさせていただきました。
そして、その後は、会場のSUD Restaurant TERAKOYA、竹芝の特別メニューを楽しみながらの懇親会となりました。
間シェフの渾身のメニューで至福の時間を過ごしながら、くじ引きで一緒のテーブルになった方々と前向きなおしゃべり、
合間に、二之湯専務理事が、参加者に近況報告を促して、全員が声を発する機会をいただきました。
私は、和食会議連絡会議の議長をされていた故服部幸應先生のご紹介で、この団体に入会しましたが、
食文化ルネサンスは、コロナ禍に政府に物申せる食の団体である「食団連」の設立にも大きく関わり、
懇親会後の2次会も活気があって楽しく前向きな交流の機会となりました。
この機会に、食文化ルネサンス、二之湯武史専務理事の功績をご紹介。
二之湯武史専務理事は、参議院議員時代に、政治家として特に日本の「食」を単なる産業としてではなく、「文化」として捉え、その地位向上と海外発信に尽力されました。
1. 「食文化」を法律に明記させた功績
日本の「食文化」の地位を法的に確立したこと。
• 文化芸術基本法(旧:文化芸術振興基本法)の改正:
• 改正前の法律には、「食」が「文化」であるという明確な規定がありませんでした。
• 二之湯氏は、「日本食文化普及推進議員連盟」の事務局長として、服部幸應氏ら飲食関係の有識者・団体と連携し、法改正を強力に推進しました。
• その結果、2017年の改正で「茶道、華道、書道その他の生活にかかわる文化」に「食文化」が明記され、「文化芸術基本法」に改称されました。
• これにより、食の分野からも文化勲章や文化功労者が輩出されるための法的な根拠となり、日本の食文化の地位向上に大きく貢献しました。
2. 輸出拡大とブランド振興への貢献
日本の食と酒類の海外展開を後押しする政策にも積極的に関与しました。
• 日本産酒類輸出拡大の推進:
• 自民党の「日本産酒類輸出拡大PT(プロジェクトチーム)」の事務局長を務め、日本酒をはじめとする日本産酒類の海外販路拡大に向けた政策立案を主導しました。
• 高付加価値産業としての食の振興:
• 自らの政策理念として、「成熟国家にふさわしい高付加価値産業(観光・食・アート・スポーツなど)を強力に振興し、地方創生を進める」ことを掲げました。食を文化・歴史・体験と複合的に組み合わせることで、地域ブランド価値を高めることを提唱しました。
2025年9月29日
一般社団法人和食文化国民会議(略称:和食会議)は、
「和食;日本人の伝統的な食文化-正月を例として-」のユネスコ無形文化遺産登録申請を契機に、
和食文化を次世代へ継承するため、平成25年12月4日に設立され、
その価値を国民全体で共有する活動を展開しています。
私は、この団体の発信を担う連絡会議
の副議長を務めていますが、
今日 9月29日は、定例幹事会でした。
コロナ禍から主にオンライン会議での開催となっています。
今回は、昨年の服部幸應議長のご逝去により、新議長に就任された辻芳樹新議長と初めての幹事会でした。
辻新議長からご挨拶をいただき、その後、各自の自己紹介をさせていただき会議はスタート。
最近の和食会議の活動を事務局が報告、

そして、連絡会議主催の年に一度、12月4日のイベント「和食セッション」は、
2025年9月28日
獺祭さんを凄いなぁと思う事は、良くあるのですが、今回は本当に…脱帽です

今月の10日にロンドンの日本大使館で、IWCの授賞式で渡英された蔵元さん方のお披露目の利き酒会があり、
そこで久しぶりにお会いした著名なワインジャーナリストのAnthony Rose氏にご挨拶した際に、
彼が「日本酒の本を書いた」と…
つい、「読みたいです」と伝えると、送ってくださったのですが、それが、この獺祭さんの本だったのです

「ワインジャーナリズムの真ん中にいる彼が日本酒

の本を書く時代が来た」
いえ、その時代を獺祭さんは、切り開かれたのだと思いました


