JAL時代の
2025年5月6日昨年、娘家族が引っ越した八王子市に、私も昨年末に引っ越しまして、
高尾駅から徒歩圏に住まいを移しましたが、良い機会と色々と身の回りのものを整理しています。
JALが破綻した2010年に希望退職して、翌年に起業して今年で15年目になりますが、出てきました

「乗務員は、与えられたスケジュールを履行するのが先ず第一」と教育を受けていました。
平成3年(1991年)は独身最後の年。

そして、結婚していた頃の名字は、老沼でした。結婚した年の1992年にソムリエの資格を取得して、
産後復帰してからは、フライト
先では、まさにワイン
の勉強
に勤しんでました。



その頃知り合ったワイン関係の方々には「老沼」の方が伝わると思います。
2001年は、JALがWSETのパートナーとなり、日本でワインスクールをオープンした頃で、
私は会社からアサインされて、その立ち上げスタッフとして関わりました。

平成19年(2007年)は、乗務員も含め2010年の破綻を前に全社を挙げて増収に励んでいたころ…
ただただ懐かしい…

民営化前の1983年から2010年までの28年間、お世話になりました。